コンミューンの夢
序章
山田 三郎
職業芸術家は一度滅びねばならぬ
誰人もみな芸術家たる感受をなせ
個性の優れる方面に於て各々止むなき表現をなせ
然もめいめいそのときどきの芸術家である
-宮沢賢治-
人について語ること,それも,すでにこの世にいない人のことを言葉にするとき,自分と直接かかわりある部分について印象や判断を書くのが,当り外れのない無難な方法かもしれない。
私もまずそこから始めたい。
あの正月3日,倒れた坂野さんが,まだ話しが出来て,翌日から始まる個展の準備を手伝ったことから-。
しかし又,人と人とのふれあいは,人生の継続した時間の中での瞬間でしかない。
知りたい人が答えてくれなければ,代って答えてくれる人に尋ね,それらをつないでみるしかない。
それでもわからなければ,推しはかるしかないであろう。
坂野さん,あをたの少年時代はどうであったか,絵との出会いは,なぜ家の跡を継がず教師になろうとしたか,開拓者になる決意をしたわけは,転じて絵筆を握る生活に入った意味は-。
結果だけは,一つ一つの事実として耳にするが,あをたの心はガラスを隔てて向うにある。
あなたの意図したところがわからなければ,後につづく者は進めないし,つづく者がいなければ,あなたの拓いた道は再び閉ざされてしまう。
引用書:グループ8月機関紙No.14「坂野耿一特集」1977年6月発行
※以降、山田氏の記事を引用して紹介を続けていきます(心一朗)。
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