プロメテウス

山田 三郎
デッサン:プロメテウス02

8月展が近ずいた5月8日の午後、坂野さんの家を訪ねました。 展覧会に出品するため遺作から何点かの作品を選ぶためです。 数多い作品の中からどれを選ぶか、年代順に代表的なものを選ぶのか、様々の傾向を代表するようなものを選ぶのか……。

迷ったあげく、偶話、親子像、工場や団地などの生活を描いたもの、草花や生活用品を描いたものなど約10点を選び出しました。 さらに自画像やミレーを思わせる初期の水郷風景などを追加していくと量はふえるばかりです。


翌日、奥さんを車に乗せて、長女の由樹子さんの家へ出向いて、さらに多くの作品(約120~130位)を見せて頂きました。 前日選んだ作品だけでも美術館第1集会室の壁一面を埋める位の量でしたので、うんと的をしぼらなければなりません。 私の気特の中には選定方法についての迷いがありました。 その時、これだけは飾らなければと思われる作品に出合いました。 「プロメテウス」です。 これで私の心の中のもやもやは吹飛んでしまいました。


デッサン:プロメテウス01

ミレーを思わせる水郷を描いたパステル、ペン画、油彩が沢山出て来たこと、開拓生活に入る際には宮沢賢治の強い影があったと思われること、 私たちが眼にして知っている子どもたちや近所のおばさんたちに接する態度、野山の一木一草に注がれている視線などから、坂野さんの生涯を貫いている思想は「愛」であると感じていました。 (それにしても「愛」とは何と誤解の多い言葉でしょう。 私などが日頃、思い込んでいるのは、「自己満足」であったり、「支配欲」であったり、時には「性欲」のかくれみのであったりする有様です。)


坂野さんに絵を学ぼうとした若者は何人もいたと思います。 坂野さんのデッサンカ、色彩、質感など吸収すべきものが沢山あります。 又どんなに苦しくとも絵筆を放さない態度を自分のものにしようと闘っている者もいます。 しかし、ギリシャ神話に出てくるプロメテウスのように、人間とその社会の未来に対する展望を失わず、 前進をさまたげようとする者とたたかうことのうちに「愛」はあるのだと坂野さんが考えて生きて来たことを理解する者は少いと思います。

引用書:「追悼・坂野耿一」1976年8月発行(グループ8月)
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